カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞したことでがぜん注目されることになった「万引き家族」。
僕にとって、是枝監督作品は「永い言い訳」に続いて2作目。
「そして父になる」もすごい気になってはいたんだけど、結局まだ未視聴。
こういう賞とか取った作品気になる。権威に弱い僕だ。
本当に本当にすごい作品だった。
映画を見ている間、何度も笑ったし、何度もウルっと来た。
久しぶりにパンフレットを買おうと思って売店に並んでる時になんだかすごくすごくこみ上げてきてしまって、泣きながらパンフレットを買うはめになった。
これからの人生で何度も思い返すことになるであろう映画だ。
東京の下町。高層マンションの谷間に取り残されたように建つ古い平屋に、家主である初枝の年金を目当てに、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀が暮らしていた。彼らは初枝の年金では足りない生活費を万引きで稼ぐという、社会の底辺にいるような一家だったが、いつも笑いが絶えない日々を送っている。そんなある冬の日、近所の団地の廊下で震えていた幼い女の子を見かねた治が家に連れ帰り、信代が娘として育てることに。そして、ある事件をきっかけに仲の良かった家族はバラバラになっていき、それぞれが抱える秘密や願いが明らかになっていく。息子とともに万引きを繰り返す父親・治にリリー・フランキー、初枝役に樹木希林と是枝組常連のキャストに加え、信江役の安藤サクラ、信江の妹・亜紀役の松岡茉優らが是枝作品に初参加した。
引用:映画.com
すごくショッキングなタイトルではあるが、描かれている家族はごく普通。
万引きのことは置いておこう。映画を見終わり、半日ほどたった今でもなぜ、この映画に万引きが必要だったのか、はわからない。久しぶりに買ったパンフレットを後で読んでみよう。何かがわかるかもしれない。
閑話休題。
家族みんながすごく普通の感覚も持っている。
寒空の中で一人でいる「ゆり」を普通の感覚で家に連れていってしまう。
その「ゆり」が両親から虐待を受けていたことを知ると、「ゆり」を守るため家族として迎え入れてしまう。
そしてそれがニュースになると、ビビって返そうか、という気持ちにもなってしまう。
虐待に気づいた時点で児童相談所に通報すべきだ、という意見を言うことは簡単。
でも、普通の人間であれば、「小さな子供は困っていたら自分で救いたい」と思うことはとても普通の考え方。
そこを理解出来ずに児童相談所に通報すべきだ、としか思えない人がいるとしたら、僕はその人の方が異常だと思う。
よくよく見ていると、この家族は不幸ではないように見える。
それどころか幸福そうに見える。
賑やかな食卓や、恋話で盛り上がったり、盗んだ水着で海へ行ったり、夏縁側で花火の音を聞いたり。
この、花火の音を聞きながらみんなで空を見上げるシーンがすごくすごくよかった。
一般的な感覚で言えば、花火は見えたほうがいいもののはずなんだけど、この家族は音を聞いているだけで一つになっていた。
あの瞬間、血の繋がりと超えた絆が確かにあった。
花火が見えないことは不幸なのかどうなのか。
幸不幸を誰かと比べるものではないので、ここでの答えはいくら考えても出てこないんだけど、切なくて微笑ましくて、花火が見れない彼らのことをかわいそうだ、と少しでも思ってしまった自分がとても汚れた人間のように感じてしまった。
食卓のシーンもすばらしかった。
僕は小説でも映画でも食卓のシーンが大好きなんだけど、こういう食卓の描き方もあるのか、と驚愕だった。
それぞれが別々の場所で食べてるし、食べてるものもバラバラ、それもカップ麺にコロッケとかそんなん。
しかも、箸で人をさしたり、そもそも菜箸で食べていたり。
それでも、家族という一つの個体である印象はあるし、ゆりとの距離感なんかも見事。
それが次の食事ではゆりとの距離感も近づいて。
恐らく今生の別れとなる、治と祥太の別れのシーン。
バスに乗った祥太を治が走って追いかけるという、あまりにベタな演出。
本当に最高すぎた。
あそこで、祥太に振り返らせた監督の英断たるや。
そして、その次のシーンであるラストシーンでは、元の家に戻された「ゆり=りん」が何かを待つように外を眺める。
あの視線は何かを待っているのか、彼女自身がそこに向かうためなのか。
それがどっちにしろ、自分で選ぶことができるよになった「ゆり=りん」はもう大丈夫だ。
最高のハッピーエンドだ。