また、読んだ。
積ん読があと170冊くらいはあるはずなのに再読本を読んでしまった。
辻村深月は正直ほとんどの作品がどれも大好きなんだけど、その中でも僕にとって本書「ぼくのメジャースプーン」はやっぱり特別な一冊だ。
ぼくらを襲った事件はテレビのニュースよりもっとずっとどうしようもなくひどかったー。ある日、学校で起きた陰惨な事件。ぼくの幼なじみ、ふみちゃんはショックのあまり心を閉ざし、言葉を失った。彼女のため、犯人に対してぼくだけにできることがある。チャンスは本当に一度だけ。これはぼくの闘いだ。
引用:楽天ブックス
作者の辻村深月が藤子不二雄が好きなだけあって、本書はSF(すこし不思議)。
と言うよりは、辻村深月の講談社系のはだいたいSF(すこし不思議)。
本書でも、”ぼく”は「条件ゲーム提示能力」という能力(と言うよりは呪いの力)を持っている。
「〇〇しなさい、そうしなければ〇〇という罰を受けることになる」と言った言葉によって聞いた人間の行動をコントロールすることが出来てしまう。
そんな能力を持ったの小学生が、親戚である秋先生と共に能力に向き合い、力の使い方を学ぶ話。
まず、秋先生がとても良き。
誰もが憧れてしまうような先生で、こんな真摯に向かい合ってくれる大人が僕が子どもの時にもいてくれたらな、と思ってしまう。
その秋先生と共に力の使い方、悪意への向き合い方、罪と罰について、学ぶという小学生には早すぎる話。
”ぼく”が悪意に向かい合わなくてはいけなくなったのが、市川雄太によって心を(一時的に)壊されてしまった”ふみちゃん”のため。
だけど、他人の為というのは本当に他人の為なのか、ってところに焦点を合わせていて、本書ではそれは自分の為と結論付けている。
イエス・キリストのせいで利己的な行動・想いというのは利他的な行動・想いに比べて軽んじられる世の中になってしまっている。
作者の辻村深月はそこにちゃんと疑問を持っていて、利己的な行動こそが純粋であり、それこそが愛である、と秋先生に断言させているのに強く共感できる。
読書というのはとても面白いもので、同じ本でも読むたびに印象が変わるもの。
面白い・面白くなかった、だけではない部分が確かにある。
「ぼくのメジャースプーン」を読んだのは何度目かももうわからないけど、今回はすごく作者の意思を感じた。
当たり前とされている事に疑問を持て。というような。
もちろんそれは鏡を見るようなもので、僕が思っていることを無理やり本書に当てはめて写して読んだだけなのかもしれないけど、そういうことができるくらいには共感できる本。
そして物語として最高に最高。良き良き。
年間ベスト、再読ものはなんとなく評価は下げているんだけど、それでもやっぱり現時点で今年一番になっちゃう。