やるじゃん、辻村深月。
僕が辻村深月読んで、よく出てくる気持ちです。「やるじゃん」
「名前探しの放課後」では、特によく思いました。
「やるじゃん、河野」「やるじゃん、坂崎あすな」「やるじゃん、いつか」
ネタばれ多めですので、ご注意を。
依田いつかが最初に感じた違和感は撤去されたはずの看板だった。「俺、もしかして過去に戻された?」動揺する中で浮かぶ一つの記憶。いつかは高校のクラスメートの坂崎あすなに相談を持ちかける。「今から俺たちの同級生が自殺する。でもそれが誰なのか思い出せないんだ」二人はその「誰か」を探し始める。
引用:楽天ブックス
「名前」にフォーカスをあてた、辻村深月の真骨頂と言っていいと思います。
辻村深月って、名前好きですよね。
登場人物だけでなく、街の名前などまでも、名付け方をすごくよく考えられてる印象を受ける。
いきなり少し否定的に取られかねない言い方をしちゃうと、これ、どうなんでしょうね。
卑怯といえば卑怯だと思いますよ。
「ぼくのメジャースプーン」を読んでいるかどうかで印象がだいぶ変わってしまう作品だ。
「いつかが実際にタイムスリップした」と「長尾秀人=ぼくの<条件提示能力>でタイムスリップしたと思わされていた」では印象がだいぶ違うと思うんですよ。
「ぼくのメジャースプーン」を読んでいない人は、最後の秀人のくだりとか意味分かるんだろうか?結局タイムスリップはなんだったの?って謎は残ったままになってしまうんじゃなかろうか。
それでも本書は素晴らしく、切ないし、やるせないし、最高。
なにより「ハル=トモくん」が実際に「椿=ふみちゃん」と会話していないこととか、胸が苦しくなっちゃう。
そこに気付いてしまった瞬間息をするのが難しくなってしまうくらいだ。
もしも、「ぼくのメジャースプーン」より先に本書を読んだ人は「ぼくのメジャースプーン」を読んでもう一度本書も読んで欲しい。
僕、この小説すごい好きなんですよ。
登場人物がどんどん成長しているのがかっこいいし、何より気持ちいい。
でも、この小説で一番好きな部分は舞台の「江布市」ってネーミングです。
多分、なんですけど、「F氏」からですよね、これ。
タイムスリップものだし、星新一からですよね。きっと。
まぁ、一番好きな部分が「江布市」っていうのは確実に言いすぎですけど。
でも、こういうパロディ的なちょっと軽めな雰囲気、飄々とした部分に辻村深月っぽさが出てるのも確か。