「コンビニ人間」で芥川賞を受賞した村田沙耶香。
やはり彼女の本筋は「コンビニ人間」ではない。本書のような小説だ。
村田沙耶香は本物だ。本物の文学を書く。
こういう一冊の本で常識はいとも簡単に壊される。
時々こんな体験ができるから読書をやめられない。
自分の子どもを愛せない母親のもとで育った少女は、湧き出る家族欲を満たすため、「カゾクヨナニー」という秘密の行為に没頭する。高校に入り年上の学生と同棲を始めるが、「理想の家族」を求める心の渇きは止まない。その彼女の世界が、ある日一変した―。少女の視点から根源的な問いを投げかける著者が挑んだ、「家族」の世界。驚愕の結末が話題を呼ぶ衝撃の長篇。
引用:楽天ブックス
ネグレクト気味の母親に育てられ、感情がどこか欠如した主人公が自分の居場所・帰る(「ただいま」を言える)場所を探すという、自分探しの物語。
それだけ言うと、とてもありがちな設定。
それでもやはり村田沙耶香。
狂ったほど極上な表現力と独特の言葉使い、圧倒的な物語の力で一筋縄ではいかないオンリーワンな小説になっている。
とにかく、主人公恵奈から感じる、本物の人間らしさがすごい。
リアリティがあるなんて言葉ではカバーしきれない本物さ。
どこかに本当にいそう、とかではなくこの小説の中に、物語の中に、この世界の中に、確かな人間として存在している。
「カゾクヨナニー」という言葉の持つパワーや「本物」や「本当」にこだわる人間性。
それはやっぱり母親から充分な愛情を受け取れなかったから、と考えてしまうのは安易すぎる。
同じ環境で育った弟は、しっかりとその環境に嘆くことができる人間に育っているのだし。
わかったフリや、できているフリをするのはとても簡単なのに、それをしない恵奈や母親である芳子のなんと潔いことか。
生々しく、赤裸々に生きている彼女たちはとても実直な存在だ。
これが人間だし、これが生物だし、これが獣。
ラストいきなり全速力になる。
いきなりぶっ壊れる。
いや、ぶっ壊れるという表現は正しくないか。異常なほど正常になってしまう。
ラストをどう受け取るかは読者の自由だ。
SFなのかもしれないし、ファンタジーなのかもしれないし、恵奈の妄想なのかもしれないし、恵奈の自我が崩壊しただけなのかもしれないし、もしかしたら誰かの夢の世界なのかもしれない。
でも、こんなことは現実には起きないとは言い切れない。
家族とはなんぞや。
人類とはなんぞや。
本物とはなんぞや。