ようやく読めた。
あれだけ売れた本だし、ドラマ化や映画化までされて、気になってはいた。
でも、そこまで期待していたわけではないけど、やっぱり読んでおかなきゃ嘘でしょ、って気持ちはずうっとあったんだけど、この度ようやく読むことができた。
そして、読んでよかった。
もともとピースは好きだし、エッセイ集「第2図書係補佐」もいい本だった。又吉直樹は何かモノを作ることに慣れてはいる人なんだろう。
「第2図書係補佐」の文章も上手で読みやすくきっと、「火花」も面白い小説なんだろうな、と思っていた。
それなのに、ここまで読むのが遅れた原因の一つは、どこかでみた「これぞ純文学だ」という感想。
彼の人間性(テレビでみた印象やエッセイを読んだ印象)で純文学というのは似合わないと思ってしまったせいだ。
「純文学」の定義は難しいけど、僕の中では作家の人間性を内に内に溜め込んで吐き出したものと定義している。
又吉直樹はもっと外を見ている、ちゃんとお客さんを見ている印象があった。
サービス精神というか、エンタメ精神というか、そういうのをしっかりと持っている人の印象が強かった。
売れない芸人の徳永は、天才肌の先輩芸人・神谷と出会い、師と仰ぐ。神谷の伝記を書くことを乞われ、共に過ごす時間が増えるが、やがて二人は別の道を歩むことになる。笑いとは何か、人間とは何かを描ききったデビュー小説。第153回芥川賞受賞作。芥川賞受賞記念エッセイ「芥川龍之介への手紙」を収録。
引用:楽天ブックス
純文学ではなかった。
そこは、はっきり言える。あくまで僕にとっては、だけど。
エンタメ小説だった。それも、キャラクター小説だった。
そりゃ、映画やドラマにもなる。
主な登場人物である徳永と神谷。
ほぼほぼこの2人だけで世界は完結しており、そこにオマケのように神谷の同棲相手や、徳永や神谷の相方が出てくる。
他のキャラクターに比べ、徳永と神谷の掘り下げ方がすごい。
この小説では徳永と神谷、特に神谷は人と違う部分や、人に理解されない部分がたくさんあって、いわゆる個性的な人間なわけだけど、他のキャラクターがあまりに表面的な部分しか描かれないため、読者は徳永と神谷に感情移入をしてしまい、他のキャラクターはとてもつまらない人間に見えてしまう。
神谷の同棲相手である真樹さんは、揺れ動く部分が見えるものの、それでも徳永と神谷に比べると、心情は全然見えてこない。
この見せ方はきっとわざとで、他のキャラクターや展開の彩度を落とすことによって中心にいる2人がとても色鮮やかで、美しく見える。
その様子がきっと花火のようなんだろうと思う。
惜しい部分としては漫才や徳永と神谷のやりとりがもっと単純に笑えるものだとよかったな。
そうするとますます小説としてのメリハリがついたんじゃなかろうか。
でも、神谷が所属するコンビである、スパークスの最後の漫才はとてもよかった。
何かを作るとはどういうことか、芸術とは何か、エンタメとは何か。
又吉直樹はそういうことをすごく悩み続けている人なんだろう。
そういう人間性が見えて来たところはとても文学していると思う。
だけど、本書はあくまでエンタメ作品として良き良き。