歌野晶午は基本的に好きな作家だ。
(あくまで褒め言葉としての)バカミスの名手だ。
本書もとても良きバカミスだった。
それでも「葉桜の季節に君を想うということ」がいまいち好きになれなかったのは、本当はバカミスなのに優等生ぶっとているように見えてしまったからだ。
みんなが優等生だよって紹介するからだ。
もう一度読んでみようかな、歌野晶午のこともあの頃よりはよく知れたし、もっと素直な気持ちで。
本書「女王様と私」は見事なまでのバカミスだった。
大部分をしめる「真藤数馬のめくるめく妄想」は主人公の妄想の中の世界であり、そんな小説にトリックやら整合性やらなんかはまったく不要になっても仕方ないのに、突拍子もない設定がありつつ、きちんとしたルールに乗っ取っており、妄想らしく感じられない部分もある。
しかも、妄想という「アンフェア」であることを最初から名言している「フェア」さ加減。見事。
真藤数馬は冴えないオタクだ。無職でもちろん独身。でも「ひきこもり」ってやつじゃない。週1でビデオ屋にも行くし、秋葉原にも月1で出かけてる。今日も可愛い妹と楽しいデートのはずだった。あの「女王様」に出逢うまでは…。数馬にとって、彼女との出逢いがめくるめく悪夢への第一歩だったのだ。―全く先が読めない展開。個性的で謎めいた登場人物。数慄的リーダビリティが脳を刺激する、未曾有の衝撃サスペンス。
引用:楽天ブックス
夢オチ。
これほど嫌われるオチもないでしょう。
本書も夢オチなのに、現実世界の意外な真相を最後に持ってくる事でしっかりと「やられた」と思わされる。
しかし現実世界でのオチもとても陳腐。
妄想世界も、社会にも出ていないオタクの数馬の妄想ももちろん陳腐。
それは絵夢のしゃべりかたや、来未(月)のキャラクター性や、世界観にも現れている。
特に序盤はオタクな主人公のもとにやってきたドSな美少女によって主人公が成長していくという、陳腐なラノベ的な世界観。あまりにくだらない。
しかし、妄想の世界の中ですら、そのままラノベ的にモテモテになるだけでなく、ヒロインにすらハメられて不幸になっていってしまうのは、数馬という神が不幸になりたいと願っているからなんだろう。
そう思うと数馬は父親と母親を殺してしまったことをきっと、すごくすごく後悔しているんだろう。
なんて思わなくもないけど、そんな場面を全く見せないのが本当に見事。
4つの願いのうち1つがいつの間にか消えてしまっていたこと、それはきっと真夏の事件を追っている三笠大雅が死んだことに関係しているのでしょう。
そこから、真夏の事件の犯人が数馬である、という伏線にもなっていて実はミステリー的な仕掛けもしっかりとある。
本書は、良く出来ていないし、面白いとも言えない。
だからこそ面白い。
評価しづらい作品だけど、好き、とは自信を持って言える。