中村文則からはすごく文学を感じる。
現代の若者は中村文則を読むべきだ。
文学は時代を超えるけど、それでもやはり現代の作家の書いた現代の物語はまた違った力を持つ。
中村文則はそんな力を持った作家の1人だ。
よき。
施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している―。どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。
引用:楽天ブックス
冒頭の赤い鳥と蛇の話がとにかく色鮮やかですばらしい。
芥川龍之介の「羅生門」を思い出した。
命の象徴としての赤い鳥がいとも簡単に死んでしまう。
ちゃんと、籠に入れていた(守られていた)にも関わらず、蛇というルールを無視した存在によって、いとも簡単に死んでしまった鳥。
そして、鳥を殺したしまったために、その蛇もまた殺されることになる。
それはそのまま死刑制度に繋がってくる。
「何もかも憂鬱な夜に」はセックスと死刑の話。
それが簡単に生と死を表しているわけではなく、衝動と規律だったり、欲望と責任だったり、愛と死だったり。
小説中、やけに雨が降っている。
物語としても湿っている感覚を受けるし、じっとりと肌に何かが張り付くような不快感や違和感をずうっと感じる。
それもきっと精液や血液などの体液との繋がりがあって、人間は世界の一部でしかないのではないだろうか。
なんてことを考えさせられる。
佐久間の言う「こっち側の人間」。それは、主人公だけでなく、読者である僕たちにも投げかけられた言葉なんだろうと感じた。
僕の死刑制度への考えはこの小説で変わった。
まぁ、読んですぐに答えを出すことは正解ではないだろうから、もうちょっと考えよう。