読了してまずタイトルが素晴らしい、と思った。
「盲目的な恋と友情」
これしかないってタイトルだ。
僕、辻村深月大好きすぎるくらい大好きで、それは中二病感だったり、藤子F不二雄的SF(少し不思議)感だったり、ミステリー感だったりと、色々な要素があるんだけど、句読点の使い方も好きだ。と今作で気づいた。
辻村深月の中でもかなり重く、辛い作品。
もちろんそれでも読んでよかった。最高だ。
一人の美しい大学生の女と、その恋人の指揮者の男。そして彼女の親友の女。恋にからめとられる愚かさと、恋から拒絶される屈辱感を、息苦しいまでに突きつける。これが、私の、復讐。私を見下したすべての男と、そして女への―。醜さゆえ、美しさゆえの劣等感をあぶり出した、鬼気迫る書き下し長編。
引用:楽天ブックス
読んでいる間、これまでに無い息苦しさを感じ、辻村深月の作品としては少し読み進むのが遅くなった。
「恋」と「友情」の2章で構成されているんだけど、「恋」の章では蘭花の視点で、「友情」の章では留理絵の視点で物語は進む。
2人の見ている世界というか、小説に書かれていること(象徴的な出来事・保存しておきたい記憶)と、書かれていないこと(とるに足らない出来事・都合よく記憶から消している出来事)の差が気持ち悪い。
「恋」の章は誤解を恐れずに言ってしまうと、普通。
容姿にも、家庭にも、友人たちにも恵まれた蘭花の茂実に対する盲目的な恋。
数々の障害や、冷静に考えれば別れた方がいい状態にまでなっているのに、恋をしているという快楽に勝てない女性の物語。
本編はこちら。
描いているのが、結局、茂実とのあれやこれやに振り回される蘭花に対する留理絵の盲目的な友情のため勘違いしてしまいそうだが、本編はこちら。
留理絵の家庭は壊れていて、はっきりとした描写は無いけど、留理絵の父親は姉を抱いていて、それを母親も気づいているのに、生活のためか、何のためか家族を続けている。
そして、父親に選ばれた姉を羨ましく思ってしまっている。
そうすると、美波の発した「留理絵ちゃんは、いい家の子っぽいよね」のなんと残酷なことか。
きっと、この一言で、留理絵は美波を拒絶することに決めたんだろう。
「恋」の章(蘭花視点)で書かれていた、留理絵が自分のニキビに対して言った「これ、病気じゃないから。うつるわけでもないか」や美波ちゃんの「化粧なんて肌のトラブルを誤魔化すためにするんだよ」という台詞が「友情」の章(留理絵視点)には無いのが留理絵の性格を物語っている。
自分を卑下しすぎた態度で、周りの人たちに線を引いていたのは自分だ、ということに気づいていなかったり、悪意の無い美波のフォローもなかったことにして、恨んでいたり、自分に都合よく他人を拒絶している。
それはとても悲しいことなんだろうけど、腹立たしくもある。
美波は、とてもフラットだ。
人間らしく怒ったり、人間らしく優しかったり、きちんと転んで立ち上がって、と、きっと盲目的なものの見方をしない女性だ。
そんな彼女を主人公にしないで、盲目的な視野の2人を主人公に持って来るというのは、きっと大変なことだったろうけど、そのおかげで、人間の理解のできなさがすごくよく現れていて、感情移入しているのにしきれない不思議な小説となっている。
ラストシーンは蘭花と、茂実亡きあとに付き合いだした乙田の結婚式。
留理絵が「一番の親友の座」として勝ち取った親友代表のスピーチ中に乗り込んで来る警察。
そこで、実は茂実を突き落としていたのは蘭花で、留理絵は隠蔽工作しただけでした。という、結末。
さて、誰が警察に垂れ込んだのかって言うと、そりゃもちろん、留理絵なんでしょうね。
感謝が足りないことや、蘭花が外国に行くことで薄まる絆なんかに恐れて。
留理絵は、親友本人よりも友情を優先させてしまった。
それこそ、盲目的な友情だ。
物語の本質からは遠い部分の台詞なんだけど、
「こんなふうな抱き方をして、この人、私が処女だったらどうするつもりだっただろう」
が、到底男には理解ができなくて、悔しくなった。