東野圭吾のクローズド・サークルもの。
とはいえひねくれものの東野圭吾、一筋縄ではいかないクローズド・サークル。
タイトルには「雪の山荘」となっていますが、雪なんか全く降っていないし、閉ざされてなんかいない。
集まった人々が芝居として山荘に自ら閉じこもっているだけなのに、とてもフェア。
なんて言うと、本多には怒られてしまうかもしれないけれど。
「閉ざされた山荘での連続殺人」という古典的な雰囲気で進む物語の背景にあるのは、ミステリーとしては違和感のある「自ら閉じこもっているだけ」の登場人物たち。
早春の乗鞍高原のペンションに集まったのは、オーディションに合格した若き男女七名。これから舞台稽古が始まるのだ。豪雪に襲われ孤立した山荘での殺人劇である。だが一人また一人、現実に仲間が消えていくにつれ、彼らの中に疑惑が生じる。果してこれは本当に芝居なのか、と。一度限りの大技、読者を直撃。
引用:楽天ブックス
みんなで芝居をしていると思ったら現実だった!と思っていたらやっぱり芝居だった。
という三重構造なのに、全然ややこしくないのは一見ありがちな(馴染みのある)”雪の山荘”という舞台設定と、登場人物たちの行動・思考の動き方などが、(不自然だったりリアリティが薄いとしても)わかりやすく、理解・想像がしやすいものであったりするおかげだと思う。
こういうのを読むとやっぱり東野圭吾の文章力は高いんだなぁと感心させられる。
人が死んでいない、というのはミステリーでは弱点になりがちだけどそこを逆手にとっていて、本当に見事だと思う。
また、「神の視点(三人称視点)では嘘をつけない」というのもミステリー小説の枷であって(もちろん面白い部分でもあるが)犯人はどれだけ神の視点から逃げるかというのが大事になるんだけど、神の視点かと思っていたら登場人物の視点であり、しかもその事自体がホワイダニットをあてるための重要なヒントになっているというのがすごい。
僕は、多作な人は(全部読むのが大変だから)あんまり好きじゃ無いことが多いんだけど、東野圭吾を読んで「ハズレ」と思ったことは本当に少ない。というよりは一回も思ったことがないかもしれない。
どの作品も安心して読めて、安心して楽しめて、そんな中で素晴らしく好きな作品もいくつも。
これもそんな1冊になった。